パイオニアってすごいと思う反面、ズルいと思っちゃう面もあるわけです。
それの一番の例と言ったらやっぱり自由律俳句が最初に浮かんでくるんですよね。
「まっすぐな道でさみしい」(種田山頭火)
感想やないかい。
こんなん僕らがやってるTwitterとそんな変わりませんよ。
シコは〜外!
— 卒論を書け (@dark_obscurite) 2017年2月3日
パコは〜腟内(うち)!
↑これが僕のツイートです。賢さの欠片もありません。
話変わりますけどTwitterのポエマーが本出してたじゃないですか。
僕のブログかTwitterも書籍化しませんかね。クソの役にも立たないですけど。
そこらの人が書いたポエム読むより僕みたいなダメ人間の生きざまを見てた方が面白い気がします。
自由律俳句の話に戻ると、
もちろん文学的なセンスの波長が会う人だったり、俳句だとかの世界に詳しくてこういう自由律俳句にも深い理由があることを分かっているような人であればこういった自由律俳句にも正当な価値を感じられるのかもしれませんが、
日頃俳句とは何ら関係のないところで生きている僕からすると、やっぱりただの感想じゃないかとしか思えないわけです。
それなら、自由律卒論とか言って、
「法律はすごい」と
ただ一文だけ書いてそれが評価されるみたいなことじゃないですか。(絶対違うけど)
種田山頭火という人自体が俗世間を嫌うような人だったらしいので、
悟りの境地に入ったということでこういう削りに削ったシンプルな俳句を作っていたらしいですね。
芸術の世界はよく分かりません。
感受性が未熟なのかもしれません。
美術館より博物館の方が好きですしね。
ただ、現代アートみたいなやつはどうしてもガラクタに屁理屈つけただけみたいにしか思えない先入観があってあんまり受け入れられません。